人魚のミイラ

 どこかの寺で保存されていた「人魚のミイラ」が科学的な方法で解析した結果、上半身は人工的に布とか土とかで作られていて下半身は魚でそれを結合したものと判明した。それはまあ人工的に作られたものだというのはだいたいの人がわかっていたことだろう。全国に人魚のミイラと言われているものは十数体あると言われている。中身はそれぞれ違うかも知れないがほとんどは人工的に作られたものだろう。

 このニュースを聞いたときにずいぶんと無粋なことをするもんだと思った。人魚が実在するなんて思っている人はほとんどいないだろう。それは今もそのミイラを作った江戸末期から明治までの時代の人も同じだろう。しかしそれが本物の人魚のミイラでないと知っていても寺とか神社で長い間保存されて拝まれてきたのは信仰の力だと思う。拝むものはなんでもいい。拝むという事が大事なのだ。そのミイラが本物の人魚のものではないとしても信仰の対象としてきた人にはどうでもいい話だろうし、人工的に作られたものだと解明されたとして一体なんだと言いたい。

 UFOもネッシーも雪男も実在しないかもしれないが、実在しないとしてもどうでもいい話である。UFOやネッシー雪男を見た人がいたという事だけ十分だ。未確認生物は未確認だから価値がある。正体を探るなど無粋な事はやめなさい。